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ラーメンの本

ラーメンのまち喜多方

喜多方ラーメンの発祥とラーメン店の形成

喜多方ラーメンは、今や全国にその名を知られ、札幌、博多とともに日本三大ラーメン の一角を担うほどになり、現在もグルメ番組や雑誌などを賑わしていますが、その歴史は大正末期から昭和初期にさかのぼります。
当時、市内にはラーメン店というものはありませんでしたが、中国から渡ってきた一青年がチャルメラを吹さ屋台を引いてラーメン(支那そば)を売り歩いていました。その手作り支那そばこそが70有余年の歴史をもつ喜多方ラーメンの元祖と言われています。
その後、現在のラーメン店分布の原形を形成したのは、太平洋戦争が終わった昭和20年代前半なのです。戦前から営業していた人に加え、中国からの引きあげ者が、大陸で学んだ知識と技をもとにして営業をはじめました。
それから市内各地に広がり、昭和60年代にはどんどん数が増え、今では130軒余りもの店がひしめき合うほどになりました。一説によれば、ラーメンの歴史でいえば福島県内では喜多方ラーメンが最も古いといわれています。
 

喜多方ラーメンがなぜこれはどまでに有名になったのか?

その原点は「蔵のまち喜多方」にあると言えます。蔵の写真を撮るための観光客が喜多 方ラーメンを有名にした最初の要因だったのです。
その人々は、昼食にラーメンを食べる機会が多かったのです。何故か?。人々は必然的に大衆食堂といった店で食事をしました。その中で最もポピュラーなラーメンが支持され、そのおいしさが口伝えに広がっていきました。
当時、市としても、通過型の観光地から滞在型の観光地を目指していた時期でもあったので、昔から市民に根ざしているこのラーメンに着目していました。ラーメンを食べても らうことで滞在期間の延長を期待し、喜多方ラーメンを多くの観光客に知ってもらうことで市を売り出そうと考えていたのです。
そして、昭和57年11月、NHKテレビ東北アワー「東北のめん」で林家木久蔵師匠が喜多方ラーメンの紹介をしたのをきっかけに喜多方ラーメンの売出しを計ることになりました。翌58年7月には旅行雑誌「るるぶ」のページを買い取り(福島県観光キャンペ ーンの一環)、ラーメンのPRを開始。発売と同時に問い合わせが殺到したと言われています。さらに昭和60年7月、NHKテレビ「おはようジャーナルー”追跡ラーメンの香りただよう蔵の町”」が全国放映され、折からのグルメブームに乗り、喜多方ラーメンの人気が急騰。次第に大型観光バスで喜多方ラーメンを食べるためのツアーが組まれるようになりました。
 

喜多方ラーメンおいしさの秘密

喜多方ラーメンは、基本的には醤油味がベースになっていますが、その店によって色合いや風味は千差万別。塩味、醤油味、その中間の味といった様々な味があります。また、麺も店により太さ、縮れ具合、こしなど様々で、これらがまったく同じ店などないと言ってもいいでしょう。
それでは、喜多方ラーメンのおいしさの秘密は一体どこにあるのでしょう。まず、一つ目は何と言っても麺です。「平打ち熟成多加水麺」と呼ばれ、一般的には麺の幅が約4oの太麺で、水分を多く含ませじっくりねかせてつくるのですが、この麺にはコシと独特の縮れがあるのが特徴です。麺を食べた時に、この縮れが多量のスープを口の中に運んでくれるため、麺とスープを一緒に味わう事ができるのです。
次に良質の水に恵まれていることです。その水を使い麺が作られ、高品質の醤油や味噌が作られ、豚骨や魚介類また地元で取れた野菜などによりスープがとられ、そして、麺がゆでられ絶妙な味をもつ喜多方ラーメンとなっていきます。
三つ目としては、海産物あるいは肉類が手に入りにくかった時代に、ラーメンは手頃なごちそうであり、また、貴重なタンパク源でもありました。そのため、ラーメンは昔から多くの市民に支持されてきました。そして味のほうも店のカウンターごしに、店主と客とのコミュニケーションを通して今の鍛えられた味になっていったのです。
 

喜多方老麺(ラーメン)会

昭和62年3月には、喜多方の独特の味を守り、技術の向上を目指すために、製麺業者 とラーメン店46軒が加盟し、「老麺会」を設立して観光客への対応を開始しました。
また、老麺会では「老麺会マップ」(年間約35万部発行)を作成し、観光客への便宜 を図っています。こうした組織の設立、そしてその活動は、以後、ラーメンなどを観光のセールスポイントとしてまちおこしを図ろうとする、他の地域の手本となっていると言わ れています。